絵入源氏物語の挿絵比較

ページをみる

『絵入源氏物語』三種の挿絵比較

慶安 3(1650)年の跋(「慶安三仲冬蓬衡叢品山氏春正謹跋」)を持つ山本春正の『絵入源氏物語』は、板本の源氏絵として最も広く知られていると思われ、『源氏物語』受容史上きわめて重要な書物である。後発の絵入板本は大概は『絵入源氏物語』の挿絵に倣ったものだし、近代になってもたとえば有朋堂文庫『源氏物語』全 4 冊の挿絵にも用いられた。それは戦前期のサクラ読本(国定教科書『小学国語読本 尋常科用』)における『源氏物語』単元の挿絵にも引き継がれ、さらには今日の教科書等に図版として載っていることもある。特に単色刷のページに載せる場合、極彩色の絵巻よりもかえって図版として重宝されるといった事情も背景にあるのではないか。また近時も、高田信敬「近代模刻の絵入源氏」(『むらさき』56、2019)の報告がある。

大本・横本・小本の三種がある。いずれも 226 図で、内見開き 12 図。すべて半丁の挿絵として数えれば全 238 図となる(本アプリケーションの画像番号はこの数え方を採っている)。

『絵入源氏物語』の研究は吉田幸一『絵入本源氏物語考』(青裳堂書店、1987 年、「日本書誌学大系」所収)において体系的に考察された後、清水婦久子氏によってさらに大きく進展し、その成果は『源氏物語版本の研究』(和泉書院、2003)年に収められている。

大本(60 巻 60 冊)は承応 3(1654)年の八尾勘兵衛による刊記を持つ本が多く(今回底本に用いた国文学研究資料館所蔵本も該当する)、『絵入源氏物語』自体が「承応版」と呼ばれることもあるが、清水氏によれば欠損等の版面の状態から初版である可能性は低く、跋のみの無刊記版(東京大学総合図書館南葵文庫所蔵本〔E23/198〕・同青洲文庫所蔵本〔E23/47〕など)の方が早いとされる。近年では跋の年次から「慶安本」と呼ばれることが多くなった。たしかに、跋の「慶安三仲冬蓬衡叢品山氏春正謹跋」のうち、「品」の 4 画目(左下の「口」の 1 画目)は、初版のみ下へ突き抜けていて欠けがない。承応版(八尾版)は、管見の限りこの線が 6 画目の位置まで届いていない。

その後、万治 3(1660)年に横本(60 巻 60 冊、後に 30 冊)の形態で刊行された。さらに、小本(60 巻 60 冊、後に 30 冊)は無刊記で、吉田氏は書籍目録から「まず寛文六年(一六六六)以前に初印六十冊本が版行され、三十年後の元禄九年(一九九六)以前に合三十冊本が重版」と推測している。鞍馬寺には与謝野晶子が所持していた小本が伝わる。版面が小さいこともあるにせよ、横本と小本の挿絵の筆致は大本に比べて粗雑な印象を受け、万治版と小本は春正が関与している可能性は低いと考えられている。いわゆる海賊版と見られる。

三種の比較分析についても清水氏によってすでに詳細に試みられており、特に絵合巻の第 82 図で、万治版で加えられた左端の人物がまるで江戸時代の装束であるとの指摘は、万治版の性格を物語っていて興味深い。

このたび『絵入源氏物語』三種の挿絵を比較するアプリケーションが公開された。これまでは、資料の所蔵機関から取り寄せた紙焼写真を並べたり、三本の画像をそれぞれのブラウザで別個に開いたりする作業を要したが、見比べるために三本を存分に広げられる大きな机がデジタル空間に用意されたとイメージすればよいだろうか。作者も版面の大きさも三種で異なるので、『源氏百人一首』のように重ね合わせての比較は難しいが、あえて試みると構図の変更や絵の巧拙などがよくわかる。

この三種比較の実現に際して、ROIS-DS 人文学オープンデータ共同利用センター(Center for Open Data in the Humanities / CODH)の各位、および所蔵資料の画像を使わせていただいた国文学研究資料館と国立国会図書館に心より御礼申し上げる。

(田村 隆)

本研究はJSPS科研費 19K20626の助成を受けたものです。

東京大学学術資産アーカイブ化推進室(附属図書館総務課)